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2006年3月22日 (水)

0日目の夜に

彼は山荘の噂を体感することとなった。

先程まで雄大な自然と思っていた周りの木々の揺れは

彼を拒絶するかのように荒々しくうねりながら窓に

体当たりした。同時に彼にも不思議な緊張が走った。

木々が自分を友好的から敵対的になった気がして彼も

自然と肩を小刻みに震わせながらも身構えた。心なしか

心臓の鼓動も速くなってきた。暗くなるにつれて姿を

表した部屋の中を這いずり回る生き物も光に群がり

飛び回る虫も都会育ちの彼にはその存在を消す勇気はなく

ただただ安息を脅かし背筋を冷やすだけの材料で

しかなく彼の鼓動は著しく速く脈打ち始めた。

一番の誤算はそれらを照らすものだった。12畳ほどのこの

空間に月明かりに負けず劣らず微弱な電球。部屋の隅など

目を凝らさなければ何があるか確認できなかった。

彼においてその電球は照らす範囲の狭さの不便さは周りの

闇への恐怖をさらにあおる道具と化してしまった。

多くの恐怖を震えながら耐えていた彼であったが、とうとう

我慢し切れず彼は虫達を威圧するように雄叫びをあげると

彼の陣地と荷物を確保し始めた。目は一部の隙もないほど

集中し、虫達と対峙しないように俊敏に事を成した。

大きな木製テーブルとそれを囲む木のイス達。

灰色の痛んだソファー達。ガスコンロ。数ある彼の避難所の

中からほどなく彼は3つあるソファーの一つを陣取り、

虫達から布団で己をガードすると足元には確保した食料を

むさぼるように口へと放り込んだ。

そもそも男の一人旅には広すぎるくらいの広さの部屋。

そして周りの闇。山荘の色々な噂。気になる虫達。

もはや胸はバイクのアイドリングのようになっていた。

たまらず彼は寝ることにした。寝てしまえば恐怖心など

どこかへ行ってしまうはず。小1時間も過ぎる頃には

心臓もいつも通りに近い鼓動に戻っていた。

遠くから来ているのでクタクタに疲れている男は

すぐに眠りに落ちる・・・はずだった。

しかし男は眠れなかった。むしろ眠るという感覚を

無くしたように彼はまったく眠くなくなっていた。

それでも目を閉じ続けた彼にその代わりと言わんばかりに

しばらくすると代わりに 異常なほど鮮明な映像が脳裏に

浮かんできた。映像はコマ送りのように次々と景色を変え

フィルムが焼き切れたかのごとくプツッと途絶えた。

ほんの一瞬の濃密な映像だったが彼は何度も小さい頃の

宝物を押入れから見つけだしたような感激と懐かしさを

胸に感じながらその映像を思い出した。

まず最初の映像は茶色い土の地面。ブランコに砂場。

そこは彼の近所に昔からある公園そのものでした。

彼がそこを駆け回っていると不意に後ろから誰かに

両脇を持たれ高く持ち上がられた。足など軽々浮いていた。

彼は体を硬直させ、目はしばらく動かなかった。

手足をばたつかせ抵抗してみせるがびくともしない。

大の大人を持ち上げるなんて何者の仕業なのだろうか、

何者なのか振り返ろうとしたところでその映像は

終わった。その後に一瞬で周囲が変わった。

次に目に映ったのは自宅のテレビだった。規則正しい

リズムと共にあたりから食欲をそそる匂いがしてきた。

その匂いに誘われるように彼は後ろを振り向こうとした。

振り向いた先は自宅ではなく規則正しい音も聞こえず。

また周囲の風景が変わったのだ。次は人だらけの道に

数多のビル、入り組んだ歩道橋が映し出された。そこは彼の

思い出の駅でした。高鳴る鼓動と共に人ごみの中を彼は

昔懐かしいあの子を微笑みながら引っ張っていました。

全ての映像はここで途絶え、景色は淡い闇に戻ってきた。

それは走馬灯のような感覚のほんの一瞬のめまぐるしい

体験でした。しかし感覚だけは1秒で1年経ったような

時間の流れを感じ取ることが出来た。

彼はあっけにとられて開いた口が塞がらなかった。

我々から見たら何の変哲もない映像でしたが彼に

とっては特別な意味合いを持つ映像だった。

彼の鼓動はまたペースを上げていたが先程の鼓動とは

違い、暖かさと胸の中心が軽く締め付けられる感覚を

伴っていた。自然と彼は口の端が上に上がり

それと反対に眉毛は脱力していた。

ソファに深く腰をかけて胸の暖かさを味わいつつ

彼は先程見た映像に負けないくらい鮮明に闇の中で

思い出していた。自分の大切な人達を。

一つ一つ吟味するかのようにじっくりと。ゆっかりと。

 父親の大きかった背中

 力強かった手を 

共に遊んだ思い出を。

 母親の暖かい背中

 優しく抱えてくれた手

 共に食べたあの料理を。

 彼女の柔らかな笑顔

 緊張しながら握った手

 共に歩いたあの道を。

すでに呼吸も穏やかになり安堵の顔を浮かべた彼は

その安らぎの理由を懐かしながらに理解した。

自分にもこんな暖かみを感じていた時期があったのだ。

ここまで色々な人に支えられて来たんだということを。

そして次は自分がしっかりと地に足をつけ歩き出し

皆を支える番だということを。

決意を固め眉毛をつり上げ拳に力が入ったところで

彼の意識はレンズの焦点がずれるようにして途切れた。

次に目が景色を認識した時、彼は部屋の中央で大の字に

仰向けで寝そべっていた。彼は何かが欠けていた。

なぜか山荘に来た記憶はあるのに山荘に来ようとした

理由がまるで思い出せなかった。

「確か興味本位で来た気がするが・・・」

 不思議に思いつつも彼は妙にすがすがしい気持ちで

部屋の天井の木目を見つめ、ただ一言

「ちっちぇな、俺」

そう言うとゆったりと起き上がり山荘を後にした。

実はこの山荘にはちゃんとした由来があった。

より前に飛ぶためにはその分助走が必要となる。

前に進めずに迷っている人に過去の思い出という

助走をつけさせるために後ずさりさせる。

この山荘の由来はそんなところにあった。

彼も今まで付き合っていた彼女と別れ、来年学校を

卒業して新生活が始まるという重圧が重なり

現実逃避のために山荘に来ていた。いっそこの山荘で

心が退行してもよいと心の奥底で期待しながら。

しかし実際は山荘に来たことで彼の心境は今の自分の

悩みなんて今まで生きてきた中でのことに比べたら

小さいことだと思ったのだろう。

ではなぜ山荘はここに訪れた理由の記憶を消すのか。

それは山荘が知っているからだ。いつまでも過去に

とらわれてばかりでは前には進めないことを。

それは助走のために後ずさりして距離をとっても

そのままの場所にいたら前に飛べないのと同じように。

いかがでしたか。

かくも不思議な山荘による思い出の旅へ誘いは。

そう、それは悩める人が前へ歩き出す1日目の前。

0日目の夜の話。

 

本日、皆様にお話する物語はあとずさり荘と呼ばれる 

いかにも気が滅入りそうな不思議な山荘の話。

綺麗な木造作りであるこの山荘、実は

一泊したはずなのに気が付くとなぜ山荘に

来たのかを覚えていないという見た目の

綺麗さとは裏腹のいわくつきの山荘なのだ。

山荘の名前も山荘に棲む化け物を見たせいで

記憶を無くし幼児期に退行させられてしまうから

だとか山荘に住み着いた仙人が宿泊客を現実から

逃避させて山荘にひきこもらせてしまうから

という噂もあるのだ。

今日この山荘に泊まりに来た彼も山荘の噂を

耳にして興味本位と気分転換を兼ねて山荘まで

3時間もかけてやって来た。

本来なら学生である彼が山荘一つを貸しきって

泊まるのはかなりの痛手となるはずなのですが、

この山荘には先ほどのような様々な噂やいわくが

ついているため格安料金となっていた。

なので学生の彼でも割と労せずして貸し切りで

泊まれることが可能だったのだ。

大きな登山用リュックを背負い、息を切らせながら

舗装されてない坂道を登る彼の姿が小さく映った。

山荘の場所が都心から離れた山奥だけのことはあって

彼が山荘につく頃にはすっかり周りは夕暮れ景色に

覆われていた。彼は山荘に着くなり自宅のように

我が物顔で中に入るとリュックを湿気を帯びた背中の

束縛から解放し、森の香りがする床を軋ませた。

彼自身も座りながらうなり声と共に両手を天にかざし

伸びをするとそのまま後ろにもたれ、しばし床と戯れた。

窓からは鮮やかなオレンジ色の光が全てを染めるように

射し込み、乱雑に横たわる靴までも淡いオレンジに

染め上げた。体を起こし、オレンジ色の中心を見つめると

彼の目も鮮明なオレンジに奪われた。

ああ、こんな綺麗な夕日を見たのはいつ以来だろう、と。

窓を開けるとすぐ横からオレンジに照らされながら

緩やかに踊る木々の揺らぎが聞こえてきた。

大自然の景色に目も鼻も奪われとりこになっていた彼は

山荘の噂など忘れた様子で自然と語り合っていた。

 

夕日も彼と別れを告げて空からまぶしさがなくなる頃 

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