« 白黒の国 | トップページ | 月と雲と風と その2 »

2006年5月27日 (土)

月と雲と風と

『人は一人では生きていけない』

あの子の一言が響く。無意識に動きだした両手は切ない旋律を奏でて私の脆いガラスのそれを支えていた。外を見渡せば自然の雄大さを表すような鮮やかな緑が私を囲むように広がっている。人の感情を天気で表したりするだろう。私の場合はもっぱら曇り。晴れもせず雨さえ降らず雲の中に雨粒を溜め込むばかり。手を伸ばせば触れられそうな月を恋しがりながらも眉をひそめ雨粒を溜める日々。地にも着けず天にも昇れず、風が吹けばただ流される存在。私にはつかめない月はただ私を見下ろしながら妖艶に輝く。私の祈りがまた皮肉にも財産を紡ぎ出す。私が手を止めると財産を得た後に残るのは漆黒の静寂だけだった。形無き財産の採掘場である私の城も闇に支配される。『ヒトリなんて別に』雲がささやいた。闇が晴れ朝になるとまた重い足取りが復活する。周りは森だらけの片田舎の一画に私の仕事場がある。気は重いが今日も台風のもとに向かうか。

「馬鹿野郎! その程度の事言わなくてもやれ! この仕事終わるまで今日は帰るな」

 目の前に教科書のような厚さの書類が叩き込まれる。この仕事場は上司と2人きり。いわばうちの会社でも窓際と呼ばれる地区だ。もとよりコンピュータに関する知識が疎かった俺だ。うちの会社で俺が成績良いはずもなく、いびるのが趣味の台風上司と夜まで一緒。立地や仕事内容のせいか一日中上司以外の人間に会わない日のしばしば。『自分は何がしたいんだ』そう心で叫ぶ日が増えてきた。毎日毎日よくわからないコンピュータの言語や回路に翻弄される日々。『この仕事向いてないんじゃないか』単純な俺はすぐにそっちの方向に行こうとする。そんな気持ちじゃ駄目だ。どんな仕事も大変なんだ。今の現状が嫌なら自分で変えなくちゃな。よ~し、やる気出てきたぁ。俺は台風にぶつかってみた。

「うるさい! 知るか! 黙ってやれ!」

 雲はものの見事に台風の暴力的な刃に跳ね飛ばされた。対抗する力さえ残っていない。くそぅ、完敗だ。自分の弱さを噛み締めながら黙々と作業をこなした。四苦八苦して作業を終わらす頃、いつものように外は光を失い台風はとっくに遠くに去っている。まぁそんなことはどうでもいい。今日もわが城に向かうとしよう。会社からわりと近くにある神社の境内。無理を言って神主さんに使わせてもらっているのだ。夜中の神社は怖い、と最初は思ったものだが今は不思議と居心地がいい。慣れた様子で楽器と喉のチューニングを施すと星空に向けて財産を紡ぎだす。自分と同じ気持ちの人達を癒せたらと創り出した財産達は同時に自分も癒してくれる存在になっていた。一日の雲に溜まった雨粒はこの度にヒョウのように冷たく輝きながら空に弾き出されていった。今日もまた一つ財産が出来上がった。すると高音の太鼓のような音が聴こえた。音のする方を振り向くと一人の中年男性が手を叩きながら立っていた。俺は突然のことでポカンと目を開け立ち尽くした。

「いや~、君やるじゃないか。初めはうるさくて怒鳴ってやろうと思って来たんだけど良い曲だったもんで聴き入ってしまったわ」

「は、はぁ」

「感情がこもっとる曲じゃなきゃ人の感情は揺さぶれないからな。大切な人に会えない寂しさとそれでも一人でも頑張っていこうっていう気持ちが込められててよかったぜ。わしもそんな気分だったからな。おもわずうちの奥さん思い出しちまったよ」

「ありがとうございます」

 おじさんの鋭さには驚いたけれど何より誰かに認められたことがたまらなく嬉しかった。自分の気持ちが伝わってそれで人を感動させられる。なんて気持ちが良いのだろう。その日は近くで張ってあったおじさんのテントの中で寝かせてもらった。いつもと同じ冷たい闇なのに心はどこか暖かかった。

 翌日。雲はまた台風にぶつかってみた。

「なんだお前は!そういうことはこの仕事を済ませてから」

「それはすでにやってあります。課長のこの書類もチェック済みです」

「むむ、わかればいいんだよ。だが今後勝手な行動は取るな!」

 雲は軽く返事をすると口元が思わずゆるんだ。してやったりだ。雲は台風の周りで挑発的に踊ると軽やかに台風のもとを去ったのだ。心なしか雲はその姿を大きくした気がした。

|

« 白黒の国 | トップページ | 月と雲と風と その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 白黒の国 | トップページ | 月と雲と風と その2 »