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2006年8月14日 (月)

不器用なエール

「こんな会社辞めてやる」

最近の彼女の口癖だ。彼女は都内の大手飲食店で働いている今年入社の新入社員。俺はこの店の常連でちょっとした店の状況なら下手なバイトより詳しい。例えば彼女のストレスの大半を占めているもの、それは

「ばかやろー、料理出すのにこんなに時間かけてどうすんだ」

店員達に罵声を浴びせつつ俺の元に料理を運んできた中年の男がいる。それだ。彼女のストレスの原因、上司の大戸店長その人である。

「大変お待たせいたしました。ロースとんかつ定食になります」

まぁ当然のことながら客である俺には腰が低い。だが従業員にはきつい物言いをするので影で有名だ。おまけに彼女がマイペースでなかなか作業速度が上がってこないことがさらに店長の機嫌を逆なでしてしまい店長にたびたび怒られている。まぁ俺もマイペースだからわかるんだが本人からしたら全力で、全速力でやっているのだ。それがなぜか効率が悪かったりもたついたりしてうまくいかないのだ。そのたびの店長の罵倒、イヤミ、説教。彼女の顔からはいつしか笑顔が消えていった。無論客である俺には営業スマイルをしてくるが俺にはわかる。ここしばらく俺が見ている中で彼女は底から笑っていない。そう、顔を笑っていても中身が笑ってないのだ。毎日店に通っていくうちに彼女に何とか笑顔になって欲しいという変な使命感が俺の中で湧き上がった。自分で言うのもなんだが、俺は正直言って口下手だしお笑いのセンスもないから何かして彼女を笑わせることは出来ないに等しいと思う。だったら俺に出来ることって何だろう。せめて彼女が仕事でストレスを溜め難くしたり和らげたり出来ないだろうか。考え事をしているときは時間が過ぎるのが早いものだ。いつの間にか時計は10時を指していることに気付いた俺は早くお皿を下げて片付けて帰りたいという店員さんの催促の眼差しを受け、足早にレジで支払いを済ませ店の外に出た。店の外に出ても俺は近くのベンチで考え事をしつつ時間を潰した。彼女を待つためだ。まぁ彼女とは入社時期から見ているから時々話をしたりしているからいいものの見知らぬ奴がやったらストーカーだとか閉店時間にまた店に来ればいいのだがそれが出来ない自分も相当不器用だな、とか余計なことも考えたりして店が閉まるのをひたすら待った。待つ間に彼女の悩み解決策も練った。まずは問題根本の解決方法だ。とりあえず3つほど考えてみた。

1.結婚して寿退社する。

2.会社を辞めさせる。

3.仕事が店長が文句ないくらいにうまくなる。

一つ目の結婚して寿退社する。これは養ってくれる人を探さないとならないな。今彼女に結婚出来る彼氏がいれば問題ないのだが。いっそのこと俺が彼女を養ってやる、そう言ってやりたい。しかし現状の安月給では養えるかどうか。自分の情けなさが嫌になる。では次はどうか。2.会社を辞めさせる。現状打破には一番手っ取り早い方法なのだが。彼女をフリーターにさせてしまうことを後押ししてしまうことが気が引けてしまう。辞めちまえと言う事は簡単だが、その後もし彼女がフリーターになって後悔するかもしれないのにそんなことを言うのはあまりに無責任すぎやしないだろうか。・・・却下だ。3つ目の仕事が店長が文句ないくらいにうまくなる。これが一番理想ではある。わかっている。だからといって一番難しいのもこれだ。だいたいどうやって彼女に諭すんだ。彼女はバレー部を3年間続けていたらしいがそれにちなんで話をしてみてはどうだ。例えば部活で上手くなるのにどうしたか。自分ではあまり上手くなってないと思うかもしれないが3年前とは雲泥の差なんだ。特に意識してやらずともそうなんだ、じゃあさらに上手くなるにはどうしたらいいか。そうだ、目標を持とう。大きな目標を持ってそれを達成出来るように少しづつやっていけばいい。バレーで関東大会出場を大きな目標にしてたときと同じだ。地道ながら少しづつレシーブのフォーム、トスの上げ方、スパイクの打ち方、それぞれの小さな事をそれでいいのか迷いながら、時には間違いながらも自分なりの答えを出して上達していったはずだ。仕事でも似ている。店長に文句を言われないくらいうまくなるのが大きな目標。達成するためには調理時間の短縮、事務仕事のやり方、バイトへの支持やコミュニケーションの取り方、そういうものを手探りで一つ一つ上達していくしかない。・・・ん~。こんなことを上手く彼女に説明出来るか、いや、俺も挑戦しないことには始まらないな。これで行こう。

時計はすでに日付が変わっていた。仕事なんだから遅いのは仕方がない。大体待ち合わせしたわけじゃないんだからなおさらだ。しかし変な気持ちだ。かなりの時間待っているのに嫌じゃなくて1度はこういう経験も悪くない、そう思えた。しばらくしてから疲れた顔の彼女が店から出てきた。気付いてよかった。こちらから声をかけねば彼女は空気の抜けた風船のようにフラフラと早足で通り過ぎそうな足どりだった。

「ちょっと話せる?」

 目の力が抜けた彼女は初めはキョトンとし、そしてゆっくりと首を縦に振った。さっそく用意した話題を繰り出そうとしたが緊張のせいか頭がボーっとして言葉が出て来なかった。我ながら情けない。

「仕事、大変そうだね」

 そんな中途半端な質問しか出来なかった。彼女は今の不満や悩みを話してくれた。大好きだったバンドのライブに行けないこと、同じ新人なのに別の社員とは店長の態度が違うこと、辞めたいということ・・・。あまりに彼女が切なそうな顔をするものだから俺は無意識に彼女をぎゅっと抱きしめていた。

「大丈夫だ、自分の信じた道を行きな。後悔しない道を」

 挫折するかもしれない、うまくいかないことが続くかもしれない、でも過ぎた月日の分は着実に上達しているさ。少なくとも俺は君の頑張りや苦労を見てそう感じてる。気の利いたことは言えないけど辛くなった時にそっと支えてあげる。だから頑張って行こう。俺も今まで以上に仕事頑張るさ。そんな想いを込めて彼女を抱きしめた。

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